Diary
あの日、小学5年生だった僕は、授業中だったのか、それとも帰りの会だったのか、はっきりとは覚えていません。ただ、教室中に女の子の泣き声が響いていたことを覚えています。学校に母が迎えに来てくれて家に帰ると、床一面が割れた食器や物で埋め尽くされ、踏み場がなくなっていたことを思い出します。
地震後、すぐにライフラインが全て止まりました。お風呂は溜めていた水にタオルを染み込ませ体を拭き、食事はスーパーに3時間くらい並んで買ったカップ麺や、母がガスコンロで作ってくれた簡易シチューを思い出します。
余震が来るたびに、テーブルの下に潜っては揺れるテレビや天井照明を見ていました。父はライフラインの仕事上、被災地に援助しにいっていたので、家には母と兄弟だけ。その当時の母の強さには目を見張るものがありました。
その他にも覚えていることといえば、1メートルくらいある太いろうそくに灯りを灯しながら川の字で寝ていたことや、ガソリンスタンドに夜中の3時ごろから並んだこと。いつ帰ってくるかわからない父のために、1番美味しいカップラーメンを残しておいたこと。
遠い記憶であまり鮮明に思い出せないが、確かにその日から日常が一変し、不安と恐怖と寂しさで胸がいっぱいだったことを覚えています。でもその中に、母の心強さや友達との繋がり、そしてこれまでにないくらいの人の温かさを感じたことも事実でした。
これはどんな局面でも同じことが当てはまると思います。スポーツでも、仕事でも、人と協力し助け合うことは大きな力となり、自分を守ってくれます。辛く苦しい時でも、きっとそこを照らしてくれる何かがある。これは僕の3.11の経験からも言えることです。
なのでこれからも、皆さんにとってその灯りとなれるような存在でありたい。
改めて、東日本大震災及び能登半島大震災で被災された方々に、心より慰霊と哀悼の意を表します。